古墳とバンカラ│八高古墳と剣ケ森

写真日記

GoogleMapで桜山に八高古墳というのがあるのを知り、行ってみました。旧制第八高校内にあったのでこの名がついたということです。現在は名古屋市立大学の中にあります。

八高古墳

大学構内には、ここから北八十メートル程の所にもう一基円墳が残っている。

あれ? これはGoogleMapに載ってなかったぞ…(あとで再確認したらちゃんと載ってました。)

剣ケ森

もう一基の円墳は、赤丸印をつけたところにありました。

この古墳は…「剣ケ森」の名称で八高生に親しまれてきた

これは本大学生門傍の「八高古墳」に付属する陪塚(円墳)であり

昭和六十三年(一九八八)八高生向学の姿を後世に伝えるため「八高青春像」を設置した

陪塚(ばいちょう・ばいづか、陪冢とも)は、日本古墳時代に築造された古墳の様式。
大型の古墳とともに古墳群をなす小型の古墳であり、なおかつ大型の古墳と同一の時代に、その周囲に計画的に付随するように築造されたとみなされるものを指す。中心となる大型の古墳に埋葬された首長の親族、臣下を埋葬するもののほか、大型の古墳の埋葬者のための副葬品を埋納するために築造されたものもあると考えられている。

陪塚-Wikipedia

再確認したらGoogleMapにもちゃんと記載がありました。しかしGoogleMapでは「塚」となっています。

下駄スタイルです。バンカラですね。

バンカラ蛮殻蛮カラ)とは、ハイカラ(西洋風の身なりや生活様式)をもじった語である。明治期に、粗野や野蛮をハイカラに対するアンチテーゼとして創出されたもの。一般的には言動などが荒々しいさま、またあえてそのように振る舞う人をいう。夏目漱石の小説『彼岸過迄』(1912年発表)の一節にも登場する語である[1]

典型的な様式としては弊衣破帽がある。これは、着古し擦り切れた学生服(=弊衣)・マント学帽(=破帽)・高下駄、腰に提げた手拭い長髪(=散切り頭に対するアンチテーゼ)などを特徴とするスタイルで、第一高等学校を中心とした旧制高等学校の生徒が流行の発端である。粗末な衣装によって「表面の姿形に惑わされず真理を追究」という姿勢を表現したものとされている。

バンカラ-Wikipedia

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